曇天の午前。空は薄い布を何枚も重ねたように白く、光に輪郭がなかった。北アルプスの稜線は雲の底に沈んでいて、山がそこにあることを、目ではなく気配で知る。そういう朝だった。
農協青年部の年度はじめの挨拶回りで町中を走った。助手席の窓に映る畑の枝々が、まだ眠っているのか目覚めているのか判然としない、淡い灰色をしていた。今年度から会計を引き受けることになった。数字の扱いには、正直なところ自信がない。だからあらかじめ詫びておく。先に言ってしまえば、互いが少し楽になる。それが礼儀だと思っている。昼前に解散した。
雨の予報は午後からだ。
急いで園に戻り、ぶどうの苗木の植え付けにかかった。細い、鉛筆ほどの幹。接ぎ木の跡がはっきりと残っていて、それがかえってその若さを際立たせている。今年植えるのは、流行りの品種、流行りそうな品種、それから少しばかり、自分の趣味の品種だ。
シャインマスカットはやはり強い。大粒で、種がなく、糖度が高い。消費者に何も説明しなくていい品種というのは、市場において強さを持っている。それはわかっている。けれど自分の中に、もう少し複雑な味わいを持つものへの引力があって、その引力をどの程度形にするか、土を掘りながらぼんやりと考えた。流行には敏感でいなければならない。でも流行だけに従っていたら、何かが少しずつ薄れていく気もする。
土を掘る。信州の春の土は、まだ冬の記憶を手放していない。表面では草が萌え始めているのに、少し掘ると固く、冷たい層が出てくる。スコップの感触が、そのことを正直に伝えてくる。土は嘘をつかない。
苗木を穴の中に据える。根を広げて、土をかける。足の裏でゆっくり踏み固める。軽い作業のようで、これが一本一本、数年後の収穫への起点になる。その重さが、じわりと足の裏から伝わってくる。手のひらに土の冷たさが残る。
植え付けがほぼ終わりかけたころ、小雨が降り始めた。
予報通りだった。植えたばかりの根に、水が馴染んでいく。悪くない雨だと思った。
だがそこで手を止める暇はなかった。畑地灌漑組合——通称「はたかん」と呼ばれる、農地に水を引く仕組みを維持する組合があり、私はその工区長も兼ねている。季節の変わり目に、灌水設備のバルブを閉めに回らねばならない。閉め忘れると洪水になる。これは比喩ではない。本当に水があふれる。雨の中、手がかじかみながらバルブを閉めた。
さらにグラニースミスの出荷作業が残っていた。
このりんごが好きだ。酸味が強く、黄緑の皮が鮮やかで、主張がある。甘さだけがりんごではないということを、この品種は黙って示している。箱に一つひとつ丁寧に並べながら、今日一日の重なりを思った。挨拶、土、苗木、雨、バルブ、りんご。
農というのは、こういう日の集積なのだと思う。
華やかな作業はほとんどない。それでも何かが、今日も確かに動いた。細い苗木は土の中に根を下ろし始めている。雨は地面へ静かに染みていく。山の向こうにはまだ雪が残っているだろう。その雪解けの水が、やがてこの畑にも届く。
倒れそうだと思いながら、それでも明日の段取りを頭の中で繰っている自分がいる。